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 巌堅から現在の状況を聞かされた三人は、とにかく押し黙った。経験豊富な剛氏たちが迷うのだ。素人が頭を抱えるのは当然だった。
 ただひとつ言えることは、いつまでもここに、ぐずぐずと留まっているわけにはいかないということだった。
 四人の間には、こういうときは紫琉が決定を下すという空気がすでに出来上がっていた。だから、李郁が不安げな表情をして紫琉を見上げる。丹英も、紫琉が口を開くのを待つようにじっと紫琉を見つめていた。
 むっつりと押し黙っていた紫琉が、ややして、ふうっ吐息を吐いた。
 「先に進む」
 顔を上げ、三人を見る紫琉の目は力強い。
 「戻る明確な理由がないなら、先に進む。戻って後悔するより、少しでも蓬山に近づいた方がいい」
 その決定に、丹英が微かに笑ったように見えた。
 紫琉が進む。それに剛氏の一団は連なった。紫琉こそ鵬だ、と中には信じて疑わない者もいるらしかった。剛氏が進むので、いつもおろおろと後を付いてきていた第三集団も従った。壮勇率いる第一集団も、みんなが進むとあれば進まざるを得なかった。
 一人道を外れるのは怖い。ましてあれほど凄惨な現場を目の当たりにすれば、それは致し方なかった。


 一行は、蓬山に向かって進みだした。
 最初は離れるのが何となく怖くて、連なる行列は大きな固まりであったが、それでも日が高くなって日差しが強くなれば、休憩場を分散しなければいけないので、少しずつ小集団になっていく。すると、不思議なことが起き始めた。
 気が付けば、あちらを歩いていたはずの人の姿がない。おかしいと思っていると、向こうを歩いていた人がいない。
 狩られている。やはりつけられたのだ!
 その思いは自然、人の足を速めた。恐怖にせかされるので、容赦ない陽射しに体は疲れても、休もうという気になれない。
 強行軍の一行はへとへとになって一日を終えたが、夜は益々人ならぬものの活動の時間だ。辺りを気にし寝ずの番をするが、昼間の疲れからついうとうとし始め、ついには泥のように眠る。すると夜半の悲鳴に起こされ、気づけば前日と同じように辺りには無残な死体が散っていた。
 「……もどろう」
 誰かがそう言って、実際何組かの集団が来た道を戻っていった。剛氏たちも顔を見合わせる。昨日進んで襲われたからといって、今日戻って襲われないなんて保証はない。でも、進んで襲われたのだから、戻りたいという心理が働くのは仕方のないことであった。
 紫琉も難しい顔をしたが、結局は進む道を選んだ
 するとその日の日中は、何事もなく過ぎた。
 ……やっぱり、こちらに鵬がいるのだ。
 そう思って安堵していると、やはり夜半に襲われ、朝になって無残な死体が辺りに散っていたのであった。


 「……水を半分にして、騎獣で一気に駆け抜ける方法もある」
 重苦しい空気の中で簡単な朝食をとっていた時、巌堅が硬い声でそう告げた。
 「孟極には厳しいが、吉量なら簡単だろう」
 「なら、却下だな。自分だけ助かっても寝覚めが悪い」
 紫琉はあっさりといったが、李郁が何か言いたげにして言葉にならず、丹英は厳しい顔をした。
 「もしお前が王なら―――」
 その言葉に紫琉がわずかに身構えた。丹英がこういう話をし出す時は、大抵が紫琉の考えを否定する時だからだ。
 「お前はどんな犠牲を払ってでも登極しなければならない」
 案の定の内容に、紫琉は少しむっとした。
 「お前は、俺を卑怯者にしたいのか」
 「王の安全は、他のいかなる民の安全にも先立つ」
 「民を踏み台にして、己の安寧をはかれというのか」
 「所詮、玉座というのは血に濡れている。無血の玉座なんてありえない」
 「以前、一なら簡単に切り捨てるのかと言っておいて今度はそれか!百の内の一が簡単なら、三百万の内の三万も簡単なのかと聞いたのはお前だろう!俺は、三万を簡単とは思えない。だから一も簡単には捨てられない」
 「確かに言った。それも一理ある。しかし、王の肩には三百万の民の命がかかっている。幾万もの命を守るために、百を犠牲にしなければいけないことも王にはある」
 「また知った振りの説教か!」
 「知った振りではなく、真実を言っているまでだ」
 李郁はおろおろと二人の顔を交互に見やる。巌堅は難しい顔をして押し黙ったままだ。
 紫琉は、高揚した気持ちを抑えるために大きく息を吸い込んだ。
 「では、お前に今、吉量をくれてやるから逃げろといえば、お前はそうするんだな」
 「それはまったく別の問題だな」
 「どうしてだ。お前だって昇山者の一人だろう。お前はいつだって俺が王ならばって話をするが、お前が王かもしれなじゃないか」
 その言葉に、丹英が苦笑した。
 「少なくとも、私は雁の王ではありえない」
 「なぜ」
 「私は、雁の者じゃない」
 「――――は?」
 「生まれは慶だ。だから雁の王にはなり得ないんだ」
 四人の中に沈黙が落ちた。紫琉と李郁は驚いて目を見開き、巌堅はどこか納得顔をした。
 「……では、なぜここへ?」
 「蓬山に用があるから、とだけ言っておこうか。それ以上は言えない」
 そこで紫琉はふと、最初に彼女を見かけた時に巌堅とした会話を思い出す。
 つはりは、巌堅の勘が当たっていたということか。
 「王は時に非情な決断を下さなければいけない。その覚悟がないなら、今からでも引き返すべきだな。玉座とは、そんな甘いものではない」
 

◇     ◇     ◇


 出発の時刻になっても紫琉はその場を動かなかった。いや、動けなかったというべきか。
 丹英に突きつけられた玉座の重み。それについて、何度も何度も考える。
 何ために昇山を決意し、何のために今蓬山を目指しているのか。わかっているつもりだったはずのものが、つかもうとすると霧散して、悪戯に思考は空転した。
 天意を試そうと思った。己が姜尚昆の息子ではなく、一個の姜紫琉として立つために。それは王でしかなかった。地王の上に立てるのは、真の王だけだと思った。
 雁の官吏は有能だとよく耳にする。しかし、どこがだと紫琉は思う。どれだけの官が、父から金をもらっているか。紫琉はよく知っていた。
 法の抜け穴も知っている。時代の変化に対して、雁は法の改正が遅い。ひとつの朝が短いせいもあるが、登極する王が法のことをよく知らぬからだ。一見問題がない。だから王は法の整備を急がない。しかしその裏で、官吏たちはちょっとずつ甘い汁を吸っている。隙間から甘い汁が吸えるから、官吏も法の改正を奏上したりしない。
 それに雁は卮王にこだわりすぎている。六百年続いた大王朝。その過去の栄光に今でもすがり、未だに大王朝の名残を懐かしんでいる。卮王の残した物を壊すのをためらい、故に雁はいつまでたっても前に進めない。
 王になってしたいことは山とある。しかし、玉座とは何かと問われれば、己が今まで考えていたこととはまったく違うことだと気づかされる。
 玉座の重み。それは、王としてなすべきこととは違うのか。
 わからない。わからないから進めない。
 今まで共に旅をしてきた仲間を、ここで見捨てるのが本当に王の勤めなのだろうか。今までは、正直言えば、苦労らしい苦労はなかったのだ。山道を行き、野宿をする。確かに大変だったが、それさえもさほど苦ではなかったのは、丹英や李郁がいたからだ。日々交わされる他愛もない会話に気を紛らわせ、苦労を分かち合うから弱音を吐かずにここまで来れた。もしこれが巌堅との二人旅なら、とっくに嫌気が差していたかもしれない。天幕を貸してくれるというあちこちからあった誘いに、さっさと乗っていただろう。
 でもそうすれば、己の足で蓬山まで登ったという最小限の達成感すら、紫琉は手放すことになったのだ。
 どうしたって紫琉は、丹英や李郁を切り捨てることは出来ない。散々助けてもらってきて、危険になったからと自分ばかりが逃げ出すなんて絶対に出来ないのだ。
 紫琉はずっと伏せていた顔を上げた。
 ―――友を見捨てて己が身の安寧をはかるのが王の務めだというなら、俺は玉座など要らない。

 
 

  
 
 
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