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 冬特有の冷たく乾いた条風が吹く。その風を受けて、渋色の帆を上げた船は、半日をかけて艮海門を渡っていく。
 その船上、甲板に吉量を繋いだ巌堅は、海風を受けながら密かに前途を憂えていた。
 先ほどから、ちらちらと投げかけられる視線が痛い。その視線に内心ため息をつきつつ、巌堅は衆目を集める原因である傍らの青年を見やる。しかし、当の本人はちらりとも気にしている様子はなく、甲板の上にごろりと横になったままぼうっと辺りを眺めている。
 ―――大物なのか何なのか。
 巌堅の口から思わずため息が漏れる。
 「船で行く」
 紫琉が突然にそう言いだしたのは今朝のこと。巌堅はその言葉に驚いた。当然の如く吉量で海を越えると思っていたからだ。
 確かに、飛行する騎獣を連れていても船で渡る者は多い。多くの騎獣にとっては、一気に海を越えるのはかなりの負担で、船で渡った方が明らかに楽だからだ。しかし吉量は、騎獣の中でもかなり良い部類の騎獣。一国を二日で駆ける。普通それだけの騎獣を持っていれば、騎獣で海を渡る。船で半日かかる道程も、吉量なら一刻程で渡ってしまうだろう。
 だから一瞬、巌堅は聞き違えたかと思った。それでなければ冗談かと思った。しかしそんな巌堅に、紫琉はこともなげに言ったのである。
 「船に乗ったことがないからな。いい機会だ」
 それに、と紫琉は続ける。
 「帰りは雲海上かもしれないだろう?案外、最初で最後の機会になるかもしれない」
 大物なのか、ただのおめでたい思考の持ち主なのか。どこまでが本気で、どこからが冗談なのか。巌堅は真剣に悩んだが、にやりと笑った紫琉を見て、巌堅は真剣に取るだけあほらしいと悩むのをやめた。
 「好きにしろ。まだ日はある」
 そして二人は船上の人となったのだ。船員に三度も「本当に乗るのか?」と確認されながら。
 その結果がこれだ。
 吉量を連れて船に乗る珍しい人達として、二人は船内で有名人になっているだろう。しかし、衆目を集めている原因はそればかりではない。紫琉の外見や身なりが、これまた特に女人の視線を集めるのだ。
 先ほどから、船室の方から若い娘達がかわるがわる顔をのぞかせては、こちらを伺っている。その中のひとりと目があったのか、紫琉が小さく微笑んでひらひらと手を振った。途端娘は、ぱっと頬を紅潮させて船室へと消えていく。その一部始終を眺めながら、巌堅は再びため息を吐いた。
 ―――こんなやつを黄海に連れて入って、本当に大丈夫だろうか。
 自分は剛氏ではない。
 それは巌堅自身がよくわかっていることだ。朱氏と剛氏。両者は似て非なるものである。
 朱氏は黄海に入って狩りをするが、蓬山へ行く必要などない。ゆえに蓬山までの道に詳しいわけではないのだ。一方剛氏は昇山者の護衛を生業とする。蓬山までの道を知り尽くしている者達だ。
 まあそれでも、ただ行くだけなら剛氏達の引いた道を目印すればさほど難しくはなかろうが、道々に潜む危険にまでは剛氏達の持つ知識に及ばないのは仕方ない。
 つまりは、素人ひとりを連れて蓬山に向かうのは、巌堅にとっても結構な負担なのだ。おそらくは、他の昇山者の連れる剛氏の知識を借りる必要もでてくるだろうと巌堅は思う。しかしその時、朱氏が剛氏のまねごとをしたあげくに、連れているのがふざけた若者とあっては気でも触れたかと笑われかねない。
 朱氏としての沽券に関わる問題だ。
 せめてこれが王かもしれないと目されるほどの人物ならば。いや、そこまでいかなくとも、せめて昇山するに不思議ないと思われるほどの人物ならば。
 巌堅がそんなことを悶々と考えていると、
 「なあ、巌堅」
 不意に紫琉が声をかけてきた。
 その声に巌堅は、傍らに寝そべる青年を見やる。
 そう言えばつい忘れがちだが、紫琉は姜家のお坊ちゃんだ。着ているのもだって絹の袍。それがこだわりもなく甲板に寝そべっているのを考えれば、案外物事にこだわらない性格なのかもしれないと巌堅は思う。
 これから黄海に入ろうというのだから、着ている物が汚れるとか、地面には寝られないなどといわれても困るが。いや、そんなことを言うなら幸い、そんな性根じゃ黄海には連れて入られぬと断る良い口実になるのだが。
 「何だ?」
 そんなことを考えていたからだろうか。存外に素っ気いない口調になったが、紫琉はかまいもせずに厳堅に問いかける。
 「この船に乗っているやつって、みんな昇山者なのか?」
 思いもしなかった質問に、巌堅は思わず吹きだした。
 やはり世間知らずのお坊ちゃんだ、と巌堅は苦笑する。
 「だったらどうする?競争率が高そうだからやめるか?」
 「まさか」
 言うと紫琉は、ははんと鼻で笑った。

 「天命を諮るのに競争率もくそもあるか。王気があるかないか、それだけの話だ」
 「わかっているじゃないか」
 巌堅は笑った。
 「俺としちゃあ、やめたと言ってもらった方がありがたいがな。まあ、それはさておき、対岸の艮県には、それなりの街があって人が住んでいる。人が住んでりゃ、人も物も行き交う。特に令艮門が開く時は商売のし時だ。人が集まるからな」
 「つまりは、ほとんどが商売人ってわけか」
 「まあ、当然。中には昇山者もいるだろうよ。おそらくあいつなんてそうだ」
 巌堅はそう言って一人の男をあごでしゃくって示す。いかにも屈強そうな、武人風の男だ。立派な皮甲を着けているところを見ると、どこかの軍人なのかもしれない。部下らしい男を二人連れている。
 「なるほど。腕を頼みに昇山するか」
 「自分に自身が溢れているって感じだろう?昇山者にはああいう者が多い。まあ、自ら王たらんとする連中だ。大なり小なり、皆そうだろうけどな」
 「じゃあ、あれはどう思う?」
 紫琉が一人の乗客を示した。先ほどから船縁に立って行く手を見据えたまま身じろぎもしない、少年とも少女ともつかぬ客であった。
 着ている物は襤褸だが、腰に下げた剣は不釣合いなくらい立派である。体格に対して少々大きすぎるのではないかという気もしたが、相当使い込まれた雰囲気をかもし出しており、不思議なくらいなじんでいた。
 海風に揺れる緋色の髪が鮮やかだ。
 「―――わからん」
 しばし悩んで巌堅は唸った。
 「黄海に入るような気はするが、昇山者とは違う気がする」
 「どの辺が?」
 「目が暗い」
 「そう?きれいな翠色だけど」
 「そういう意味じゃない」
 ふざけているのかと巌堅は紫琉を一瞥する。
 「わかっていると思うが、黄海に入れば命の保障はない。誰しもが命を賭けて黄海に入るわけだ。つまりは、命を賭けるほどの価値を黄海に入る事に見出せねば、黄海に入る決意は出来ん。その決意を秘めた目をしている」
 「なるほどね」
 「勘だがな。長年黄海に入っているから大体当たる。それにさっきから金剛山ばかり見ているしな」
 「それで?」
 「先ほども言ったが、昇山する者は大なり小なり自信家だ。そういうやつは目に光がある。それがいいとか悪いとかは別にしてな」
 「で、彼女にはそれがないと?」
 「――――彼女?」
 「今話している、あの乗客だよ。あのうなじは間違いなく女性だ」
 女性の目利きには自信があるんだ、と紫琉がにやりと笑ったので、巌堅はため息をつきつつ「ああ、そうですか」と答えるしかなかった。
 そして心の中で付け加える。
 それは連日の妓楼遊びで身につけたんだな、と。
 「それにしても、女ならますますあの剣が不思議だな」
 「ああ、彼女には少し大きい気がするな」
 「それもあるが、どう見てもまだ成人前だろう?なのにあの剣は随分使い込まれている」
 「そうか?きれいに見えるが?」
 「そういう意味じゃない」
 と、巌堅は首を振る。
 「見た目は鞘や柄を直せばきれいになる。そういう見た目の部分じゃなく、あの娘にあの剣がなじんでいるということだ。長年使い込まねばああもぴったり雰囲気が合うものじゃない。体に合わぬような大きさの剣なら特にな」
 「なるほど。それにしても大きさは実用的だが、鞘の造りが見事すぎるな。華美ではないが、実に手が込んでる。家でもめったに扱わぬほどの一品だ」
 「さすが姜家のお坊ちゃまだな」
 少々揶揄を込めて巌堅はそう言ったが、紫琉は視線を赤髪の少女に向けたまま、予想外に真面目な顔で呟いた。
 「家では、国のありようや歴史より、品物の目利きのほうが重要だからな。次に計算。特に暗算は必須だ。その次は法令。法の穴を掻い潜るところに儲けがあるからな。どうしても抜け道がないときは、官吏に金を握らせる。そのために社交や話術も身につけなければならない。妓楼に通うのはそのためだ。それに妓楼は密談の現場になることも多い。情報収集にはもってこいの場なんだよ」
 紫琉のその言葉に、巌堅は少々の驚きをもってその横顔を見た。
 「……………お坊ちゃんもなかなか大変なんだな」
 意外と真面目で苦労人なんだな、と巌堅は紫琉を見る目を少々改めようと思った矢先、だが、と紫琉は言ってちらりと視線を投げてよこし、にやりと笑った。
 「妓楼に通っていたのは、半分以上は趣味だけどな」
 そのあと、目当ての妓女を落とすために何日通いとおしただの、こんな手やあんな手を使っただの、もう少しで落とせるところを嫌味な男に掻っ攫われたことがあるのだとかいう話が延々と続き、結局のところ「好きなんだな」という結論に巌堅は達したのであった。


 「―――彼女が黄海に入ることにした決意ってなんだろうな」
 一通り妓楼の話が終わって、しばしの静寂が二人の間に流れた後、紫琉がぽつりと呟いた。どうやらこの女好きの青年は、あの少女のことが気になって仕方がないらしい。
 確かにきれいな顔立ちだ。少女と思ってみれば、かなりの美少女である。だが、容姿がどうのという前に、その目の暗さが巌堅には不気味に映る。
 なんというか、そう、妖魔を前にした時の気持ちと似ている。
 まるで、人語を解さぬ人の姿をした妖怪(あやかし)。目が合えば襲い掛かってきそうだ。
 「さあな。何か賭けをしているのかもしれん」
 「賭け?」
 「ただの勘だがな。黄海入ることそのものに、意味を見出しているような気がしないでもない」
 「なら、俺と同じだな」
 「は?」
 巌堅はわけ判らずに紫琉を見やる。
 「お前の目的は、蓬山に登って蓬山公に拝謁し、天命を諮ることじゃないのか?」
 「そりゃ、もちろんそうさ」
 「―――言っている意味がわからん」
 「つまりは、俺も賭けをしているってことさ。無事蓬山にたどり着いて天命を受ければ俺の勝ち。生きて戻れれば引き分け。どっかで死んだら負けってところか」
 「命を賭けて昇山するって意味ではそうかもしれんが……」
 「本当は、この賭けに乗るかどうか迷っていたんだ。だが、開門に間に合う時期に巌堅と出会い、これも天の配剤なんだろうと思った。だから、乗ることにしたのさ」
 「それは一体誰との賭けなんだ?」
 「もちろん、自分とさ」
 ますますわけが判らん、と巌堅は思ったが、これ以上いくら問いただしたところで自分が納得するような答えが返ってくるとは思えなかった。
 きっとこの男にはこの男なりの考えがあり、この男なりの生き方があるのだろう。そう結論付けることで、巌堅はこの話題を打ち止めにしたのだった。

 
 

  
 
 
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