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 妙な騒ぎで足留めされてしまったせいで、巌堅ら一行は、目当ての舎館に泊まることは出来なかった。それでもちゃんとした厩舎のある舎館に泊まれたのだから、ついていた方だろう。先ほど騒ぎの中心だった少年が一緒なのは、厩舎のある舎館に行くなら一緒に連れて行って欲しいと頼まれたからだ。
 「本当にありがとうございました」
 李郁(りいく)と名乗った少年は、改めて紫琉にぺこりと頭を下げる。年の頃はまだ十四、五といったところで、柔らかそうな灰褐色の髪にくりっとした大きな目が印象的な少年だった。
 「なに、どうせ向かう先が同じだっただけのことだ」
 紫琉が言えば、李郁は慌てて首を振る。
 「いえ、宿のことだけじゃなくて、先ほどのこともです。おかげで、騎獣を盗られずに済みました」
 「ああ、それなら余計気にしなくて良い。別にお前を助けようと思ってやったことじゃないしな」
 「……は?あの」
 紫琉の言葉にきょとんとして、李郁はなんと答えたものかと固まる。それを傍らで聞きながら、巌堅も意外な言葉に軽く目を見開いた。
 そんな二人の反応に紫琉が苦笑する。
 「俺をそんなお人よしだと思わない方がいい。俺は利のない行動はしない主義でね。あの時は名乗りを上げることに利を見出したからそうしたまで。その結果、お前を助けるような形になっただけだ」
 「―――はぁ」
 李郁はどこか困ったように息を吐き出したが、
 「それでも、おかげで助かりました」
 ともう一度ぺこりと頭を下げる。それに紫琉は、ひらひらと手を振った。
 「今度見かけても助けないからな。もう盗られないようにしろよ」
 それに、はい、と屈託のない笑顔をみせた少年が衝撃の一言を口にしたのはその直後だった。
 「安闔日までもう日がないので気をつけます」
 その一言に二人が同時に反応した。


 「安闔日?」
 「―――まさか、昇山する気か?」
 過剰といえるほどの反応を見せた二人に、李郁はきょとんと二人を見返した。
 「はい。そうですけど?」
 それがどうかしましたか?と首をかしげる少年を見て、巌堅は嫌な予感が脳裏をよぎって思わず顔をしかめた。
 別に昇山するのに年齢は関係ない。かつて恭国には十二歳で昇山し玉座に就いた女王がいて、以来ずいぶん年若い者も昇山するようになった。それで多くの若い命が失われたのもまた事実だが、要は覚悟さえ出来ていればそれで良いと巌堅は思う。
 ただ問題なのは、この少年に随従がいないということだ。一人だ。まさか一人で黄海に入るほど無謀ではなかろうと思うが、今からここ艮県で仕事を探している剛氏に出会うのは難しいだろう。
 冬至まであと五日。剛氏たちはとっくに雇い主を見つけている頃だ。
 しかし、わざわざ自分で護衛を雇わずとも、それなりの安全を確保する方法はある。昇山する者の随従に加えてもらうのだ。昇山する者の随従といえば大抵が護衛で武器を携行しているが、中には馬や荷車で大量の物資を運ぶ者もいる。そういった者は荷を運ぶための随従を多く抱えており、そこに、荷を運ぶのを手伝うから一行に加えてくれ、と頼めば大抵否やとは言われない。何せ今から天にその人格を試される連中だ。黄海を目の前にして、懐の小さいところは見せられない。
 だから巌堅は思うのだ。この少々小賢しそうな―――李郁という名の少年が、自分達に目をつけてきたのなら面倒なことになりそうだ、と。
 まったく度素人の、いいとこ育ちの世間知らずなぼんぼんを、無事に連れて帰るだけでも手が焼けると思っているところだ。しかも相手は姜家の次男坊。成功報酬は高いが、黄海で死なれでもしたら、何か報復が待っているのではないかと思ってしまう。そこにさらにお荷物が増えれば、巌堅の頭痛の種が増えるだけだ。
 紫琉は自分のことを「そんなお人よしだと思わない方がいい」と言ったが、同行を願う者を断るかどうかは別問題だ、と巌堅は思う。利のない行動はしない、ということは利さえ見出せば行動するということ。そして天に人格を試される昇山にあっては、同行を断らないことに利を見出したと言い出しても不思議はなかった。
 「そうか、なら気をつけろよ」
 巌堅はそう声をかけると、さっと紫琉の両肩をつかんだ。
 「ほら、さっさと部屋へ上がるぞ。俺はもう空腹で死にそうだ」
 「何だよ、巌堅。そんなに力いっぱいつかむなって。俺の繊細な肩が壊れるだろう」
 「ああ、そりゃすまんな」
 「それに飯庁は一階だ」
 「いい、部屋に運んでもらう。ここの亭主は顔見知りだからな。融通が利く」
 「あ、そう。なら部屋で食うか。なんだか疲れたしな」
 会話を交わしながら、巌堅はとにかく紫琉の背中を押した。あの少年が余計なことを言い出す前に、二人を引き剥がしてしまいたかった。
 少年が何かもの言いたげな視線を向けているのに気づいたが、巌堅は見なかったことにした。


◇     ◇     ◇


 翌朝、朝早くから二人の姿は厩舎にあった。
 巌堅が吉量に鞍を載せ、荷をくくりつけて出発の準備をする傍らで、紫琉は厩舎の柱にもたれかかってしきりにあくびをかみ殺している。
 昨夜はさっさと寝たというのに、意外と寝付けなかったのだろうか。巌堅は紫琉の様子をちらりと見て思う。
 巌堅は紫琉が普段どんな生活をしているのか知りはしない。ただ、想像するだけだ。だが、関弓の妓楼で会った時は、巌堅がしり込みしてしまうほどの豪奢な空間に良くなじんでいた。あれが普通な生活をしているのだろうと思う。
 しかし一方で、甲板でごろ寝をする。ぼろい宿でも文句を言わず、しかも昨夜は巌堅と半房ずつの相部屋であったが、それを気にする様子もなかった。
 拘らない性格か、とも思うが、今眠そうにしている様子を見れば、案外我慢しているだけなのかもしれないと思う。あるいは、昇山のために努力しているというべきか。
 どこかふざけた性格だが、やはりそれなりの覚悟を持っているということなのだろう。
 少年が孟極を連れて現れたのは、巌堅がそんなことを考えている時だった。
 「おはようございます。紫琉さん」
 少年はにっこりと微笑むとぺこりと頭を下げた。それに対して紫琉は「ああ」と軽く片手を挙げて挨拶を返す。
 「もう、出発されるのですか?」
 「まぁな。お前もか?」
 「はい。ここに長居すると、昨日の男が報復しにやってこないとも限りませんので」
 「ああ。まあ、そうかもな」
 紫琉はあくびをしながら答える。そんな紫琉を眺めながら少年は、少々不思議そうな顔をして問う。
 「……それにしても、冬至まであと数日もあるのに、艮で待つんですか?騎獣を持っている人たちは、ぎりぎりまでこの街にとどまるようじゃないですか。艮より、こっちの方が便利でしょう?」
 準備をする手を休めずに二人の会話を聞いた巌堅は、少年の問いに、まったく当然の質問だな、と心の中で賛同する。巌堅とて、ここで二、三日留まっていくつもりかと思っていたのだ。しかし、思考の読めないこの青年は、すぐにここを出発すると言い出した。その理由が、歩いて艮まで向かうからだという。
 歩けば三日はかかるが、吉量で飛べばすぐの距離。なぜわざわざ歩くのかと聞けば、彼女も歩いていくのだろうから、という。
 「彼女?」
 と巌堅が首を傾げれば、
 「船で見かけた、あの紅い髪の少女のことさ」
 とさらりといわれ、巌堅は、この男は目的を見失ってないか?と疑いたくなったのだった。
 馬鹿につける薬はないというが、女好きにつける薬もないらしい。
 「俺には俺の都合があるのさ」
 紫琉が少年にそう答えているのを聞きながら、さすがに子供に女がらみだとは答えんか、とそんなところに妙に感心する。
 「……そうですよね」
 少年は呟き、しばし押し黙った後、その…、と話を切り出した。
 「同行させてはいただけないでしょうか」
 ……きた。
 巌堅は心の中で舌打ちをした。


 「同行ってどこまでだ?」
 「―――蓬山まで」
 「ほう」
 紫琉は呟いて李郁を見返した。
 「……蓬山までね」
 「―――だめでしょうか?」
 おずおずと聞き返す少年に、紫琉はなんともいえない返事を返す。
 「さて、どうかな」
 それは自分に意見を求める前ぶりかと巌堅は思ったが、紫琉の視線は少年に注がれたままだ。
 「それはお前が、俺に何を差し出すかによるな」
 「え?」
 少年が意外そうな声を上げる。巌堅も同じに意外だった。
 昇山者は、往々にして度量が大きいと見せかけたがる。このようにあからさまに対価を要求する者は珍しいのだ。たとえそれが正当なことであっても。
 そして逆に、それにつけ入る者もいる。小賢しいともいえるし、世渡り上手ともいえた。
 少年が紫琉に目をつけたのはわかる。昨日のようなごたごたにわざわざ首を突っ込むようなお人よしだ。少なくとも、昨日の一件だけではそう思うだろう。紫琉は「お人よしだと思わない方がいい」とは明言したが、それも取りようによっては、恩着せがましく見せないための芝居と思う者もいるかもしれない。
 まあ、それでなくとも、それなりに関係の出来た相手だ。だめもとであたってみる価値が少年にはあるはずだ。
 一方の紫琉は、少年が意外そうな声を上げたのが逆に意外だったのだろう。どこかあきれたように苦笑する。
 「当たり前だろう?俺は巌堅にかなりの額の報酬を約束し、半分はすでに払っている。もし俺が王で帰りが必要なかったら、この吉量をやるということにもなっている。それだけの金を払って雇った護衛の恩恵にまさかタダで与ろうってわけじゃあるまい?それになぁ、お前の同行を許すということは、単純に考えて巌堅によってもたらされる安全が俺とお前に二分されるということだ。つまりは、お前を同行させることによって俺の安全は目減りする。そうなってもいいと思えるほどの利がなければ、同行は認められない。残念ながら、俺はそんなお人よしじゃないんでね」
 「……………」
 昇山者がめったに口にしない、それでいてあまりに正当な理由をずばり言われて、少年は言葉に詰まってうつむく。
 紫琉の言葉は正しい。黄海はそんな甘いところではない。余計な荷を抱えて入れるところではないのだ。そんなことをすれば、その荷に自分が潰されるか、あるいはどこかで捨てる決断をしなければいけなくなる。
 だが、その荷が人であれば、捨てるのが難しい。
 巌堅がそんな事を考えていると、沈黙ばかりが流れる無為な時間に痺れを切らしたのか、紫琉が口を開いた。
 「別に差し出すものは金とは限らんぞ。そもそも金には困ってないしな」
 「―――では、なにを。僕に出来ることなら何でもします」
 「知識でも、技術でも、俺の利になることなら何でも」
 紫琉が言うと李郁は、あ、と弾かれたように顔を上げた。
 「薬草のことなら少し」
 「そんなもん、知識はあっても黄海のどこに生えているのか判らなきゃ使えんだろう」
 「……そうですね。でも、他にこれといって」
 「じゃあ、交渉決裂だな」
 紫琉は言って、寄りかかっていた柱から身を起こした。
 「ま、昇山者は他にもわんさかいるみたいだから、いい奴に拾ってもらえよ」
 そして踵を返してそのまま立ち去ろうとしたが、二、三歩歩いたところでふと何か思いついたのか足を止めた。何だろうと見ていると、くるりと少年を振り返り、すたすたっと歩み寄る。
 「―――お前、船で一緒だった赤い髪の少女を覚えているか?」
 そのあまりに意外な言葉に、少年が一瞬止まった。
 「ずっと甲板に立っていた人ですね。ってあの人、女の人だったんですか?」
 「やっぱりガキは見る目がないな」
 「すみません。……で、その人がどうかしましたか?」
 「彼女も一人だった」
 「そうですね。船の上では誰かと一緒だったようには見えませんでした」
 「つまりは、お前みたいに同行者を探しているかもしれん」
 「……そうですね」
 「彼女を誘えたら同行を許してやる」
 「――――」
 隣で黙って二人の様子を見ていた巌堅は、紫琉の言葉にがっくりと肩を落とした。
 先ほどの紫琉の言葉を借りるなら、彼女を誘うことは、安全が三分の一に目減りしても紫琉にとって利があるということになる。
 やはり、女好きにつける薬はない。
 一方の少年は、紫琉の言葉があまりに意外だったのだろう。数瞬固まり、恐る恐る問い直す。
 「えーと、つまり。その人に一緒に行こうと言って来いということですか?」
 「言うだけじゃなくて、ちゃんと誘って俺のところに連れて来いと言っているんだ」
 「な、なんでですか?」
 「そんなもん、俺の都合だ。いちいち聞くな。で、やるのか?やらないのか?」
 「わ、わかりました。―――でも何と言って?」
 「それを考えるのがお前の仕事だろう。警戒がられない良い案が浮かんでいるなら自分でやっている。それに餓鬼の方が案外誘いに乗ってくれるかもしれん」
 ……紫琉さんって、何しに黄海に行くんですか?
 のどまで出掛かった疑問を李郁はすんでのところで飲み込んだ。
 「わかりました。やってみます」
 「じゃ、頼んだぞ。健闘を祈る」
 どこか機嫌よくそういい残すと、紫琉は今度こそその場を立ち去った。
 交渉する相手を間違えたかもしれない、と李郁はほんの少し後悔しないでもなかった。


 
 

  
 
 
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