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 艮の街に築かれた人門をくぐり、金剛山の狭間の深い峡谷を行く。冬至の弱々しい陽射しがわずかにその道を照らし、人々は城砦に向かう兵を先頭に、粛々とその道を歩いていく。
 行き止まりに巨大な門。これが四令門のひとつ、令艮門。
 人々は門前で足を止め、聳え立つ門を見上げて声を上げる。そこで開門の午まで待つと、唐突に頭上の高楼から低い咆哮が響きだす。決して大きな音ではなく、低く空気の底を揺るがし、いつまでも震わせているような種類の音。咆哮というより唸りに似て、集まった人々が怯えたようにざわめきだす。
 開門を告げる、天伯の声。
 固唾を呑んで人々が見守るその前で、今、令艮門が開く。


◇     ◇     ◇


 時は少し遡り、開門二日前の艮の街。
 陽子は丑門から街に入り、門のそばに佇んで通りを行き交う人々をただ眺めていた。
 陽子はもちろん、昇山した事はない。だが、黄海に入ったことはあった。
 騎獣を狩るためだ。
 門が開いている間に帰ってくる短い滞在ではあったが、それでも黄海がどういう所かは、わずかなりとも知ることが出来た。
 故に、案内もなく蓬山にたどり着くことが如何に難しいかわかっているつもりだ。剛氏と呼ばれる昇山者の護衛を商売にしている者達の存在は知っていたが、昇山とはわけが違う自分の余興にそういう者たちをつき合わせるのは、まだわずかばかり残っている良心が咎める。
 だから、人の波を見つめながら考える。蓬山までの道をどうやって確保しようかと。
 ちなみに短い滞在を数度繰り返して捕まえたのは騶虞。その時に取って置きの狩場を教えてくれたのは、かつての延王。今や諡で卮王(しおう)と呼ばれる男だ。
 卮は杯(さかずき)を表す。と同時に、臨機応変とも支離滅裂との意味もあり、陽子はその諡を初めて聞いた時、彼のことを良く知っている者がつけた、実に彼にふさわしい名だと笑って泣いた。
 そしてしばらくして、陽子の元に一通の書簡が届けられたのだ。開くとたった一行、
 『約束は果たせ』
 どこまでも彼らしかった。
 ―――もう充分、約束は果たしましたよね。
 人の波を見つめながら思い出にふけっていた陽子は、思わずくすっと笑う。
 ―――それとも払いすぎちゃったかな。あの世で会ったらおつりをもらわなくっちゃ。
 かの王の後、雁は短い王朝を繰り返している。どこに問題があるというわけでもないのに、誰も王が人であったときの寿命を超えることが出来ないのだ。
 そして今は、先の王が崩御して十五年。麒麟旗が揚がって十年になる。王ではないかと目される主だった者たちはすでに昇山してしまっていたが、それでもまだ、我こそ王たらんと昇山する者たちは、引きもきらない方であった。特に今回は雁が地元の安闔日。昇山者は特に多かった。
 それにしても……、と陽子は、先ほどから目の前をつらつらと連なって通り過ぎていく荷車に顔をしかめる。ものすごい量の荷物だ。
 「まさか、黄海に持って入るのか?」
 大量の水瓶に、大量の穀物。少しめくれた覆いからは、絹や錦がちらりと覗く。
 蓬山で商売でもする気なのだろうか?しかし黄海の道なき道を思えば、とても蓬山まで運び上げられるとは思えない。
 ―――愚かなやつは、どこにでもいるって事だな。
 陽子はあきれて溜息をひとつついたが、その時ふとひらめく。荷運びを手伝うから同行させてくれといえば、うまく道案内を確保できるのではなかろうか。こういうたいそうな物を持ち込む者は、黄海に詳しい者もつけているだろう。仮にそうではなくても、集団に身を寄せているほうが情報収集もしやすい。
 陽子は実にいい事を思いついたと、荷車を押す一行を追いかけた。


◇     ◇     ◇


 門の隙間から黄海特有の暖かな風が吹き出した。風は、門前に集まっていた人々の衣を巻き上げ髪を散らし、唸りを上げながら峡谷を駆け下っていく。
 門が完全に開ききると、どこからともなく歓声が沸いた。同時に門前の先頭にいた兵士達が駆け出す。門の向こうに長い年月をかけて築かれた城砦で、門を妖魔から死守するためだ。
 それを追い越すように騎獣が飛ぶ。一路黄海へと先陣を切るのは猟尸師たち。特に彼らは明日の午までに黄海を巡って帰ってくるのだ。その後をのんびり追うのは、春分まで黄海で狩をして過ごす剛毅な者たち。彼らは、秋分からを黄海で過ごし、無事冬至を迎えて戻ってくる者たちと、すれ違いざまに二言三言交わしていく。それを呆然と見ているのは黄海に不慣れな昇山者たち。しかし彼らもはっとわれに返って慌てて後を追う。
 「なかなか活気があるじゃないか」
 その様子を見つめていた紫琉がぼそりと漏らす。それを耳に拾って巌堅は笑った。
 「これが安闔日だ」
 「悪くない」
 紫琉がにやりと笑う。
 「では行くか。天命をもぎ取りに!」
 吉量が大地を蹴った。


 李郁が紫琉の元へ戻ってきたのは、城砦の開門を待っている間だった。城砦では喧騒と雁の荒廃をかぎつけて集まった妖鳥と兵たちの攻防が続いている。
 一通り妖魔の姿が見えなくなれば門は開くが、紫琉たちはここで一晩を過ごす心積もりですでにくつろいでいた。
 昇山者たちは、大体ここで一晩を明かして黄海へと出て行く。午過ぎに出てすぐに黄海で夜を迎えるより、朝に出発した方が心理的に安心できるからに他ならない。すぐに発ってもいいという紫琉をとめたのは、どうせなら昇山する者たちと群れていった方が何かと都合がいいからだ。
 「紫琉さん」
 「おう、李郁か。門前で姿を見かけなかったから、諦めたのかと思ったぞ」
 「何を馬鹿な。例え一人でも昇山して見せますよ」
 そう言って軽く紫琉をにらむ李郁は一人だ。
 「で、それをわざわざ俺に言いに来たわけか?」
 「……違いますよ。約束を果たしてもらいに来たんです」
 「―――うまくいったのか?」
 土間にごろりと横になっていた紫琉は思わず身を起こす。
 「じゃなければ来ません。僕にだって意地がありますから」
 そうか、と呟いて紫琉は先を促す。
 「で、彼女は?」
 「城壁の方です。窓から外を眺めていますよ。集まっている妖魔が気になるのかもしれません」
 「…そうか」
 紫琉はつぶやく。
 「で、お前。何と言って誘ったんだ?」
 「何って普通ですよ。やっぱり同行させれくれる人を探していたみたいです。荷運びでも何でもするから同行させてくれって言ってましたから。で、声をかけた相手が、自分じゃ決めれないって困っている所に声をかけてみたんです」
 「でかした、坊主!」
 「李郁です」
 「よし、約束だ。同行を許す」
 「ありがとうございます」
 「ただし、同行を許すだけだ。身の安全までは保障しないからな。妖魔が襲ってきたら自力で生き延びろ」
 「―――がんばります」
 こうして黄海を旅する四人組が出来上がったのであった。


 
 

  
 
 
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