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 城砦前の広場に昇山者たちが集う。別にそうしなければいけないわけではないが、ただ何となく集団から外れるのが怖くて群れる。しかも広場の隅には、恐ろしげな獣の死骸が積み重ねられており、目の前の森からやつらがやってきたのだと思えば、先頭を切って森に足を踏み入れるのを誰もが躊躇い周囲の動向をうかがう。だから集団はなかなか出発しない。

 城壁の門をくぐると、生臭い匂いと共に強い光が射し込んだ。
 巌堅はそれを当たり前に受け止め、紫琉と李郁がわずかに顔をゆがめた。最後にやってきた少女はちらりと妖魔の死骸に目をやって、表情を変えることなく広場に視線を移す。
 「意外と多いんだな」
 彼女がぽつりと呟く。
 確かに、目の前に集っている人の数は多い。千人はいないが、六百人から七百人はいるだろう。昇山者はそれぞれが多くの随従を伴い、中には数十の護衛を連れている者まであるのが普通だ。おそらく核になる昇山者は、百人程度といったところだろう。
 巌堅はそれらの人を見渡して、とりあえず見知った顔がないことに安堵する。巌堅は朱氏だが、剛氏に知り合いがいないわけでもないのだ。朱氏が剛氏の真似事をしているなど、出来ればばれたくはなかった。それに一人で三人もの昇山者を抱えるなど、気でも狂ったかと笑われるのが落ちだ。
 巌堅のように、一人で三人もの昇山者を抱える者などまずいない。それに、あとから加わった二人は別に巌堅と契約をしたわけではないので、収入が三倍になったということもない。もともと紫琉との約束は破格だったが、三人分と考えたら破格なのかどうか怪しくなってきた、と巌堅は思う。
 まあ巌堅としては、依頼者を守りきれば仕事を全うしたことになるのではあるが、お気に入りらしい少女に何かあれば依頼主がへそを曲げないとも限らない。
 その時、辺りの様子を眺めていた当の少女がふと巌堅を振り返った。
 紫琉が気になってしょうがないらしいこの少女は、名を丹英というらしかった。
 「出発しないのか?」
 「しばらくは集団にくっついていった方が都合がいいんでね。動き出すまで待つ」
 巌堅が答えれば、ふーん、と答えて視線を前に戻す。
 それにしても不思議な少女だった。格好だけでなく言葉遣いまで男っぽいのだが、だからといって動作まで粗野ということはなかった。船で見かけた時はぞっとするほど沈んだ目をしていたが、黄海で再会した時にはどこか嬉々としていた。
 それに、襤褸を纏っているくせに手がきれい過ぎる。爪などまるで貴人のように磨き上げられていた。それに十六、七の年の割りに妙に落ち着いていて威厳がある。さほど年の変わらない李郁が先ほどから不安げにずっと押し黙っているのと比べれば、肝が据わりすぎていて不気味なくらいだった。
 「それにしてもなぜ誰も動き出さないんだ?出発の準備は出来ているように見えるが」
 「心の方の準備が出来てないのさ。妖魔の死骸に怖気づいてんだろう」
  少女の問いに巌堅がわずかに笑いながら答えると、少女――丹英も口の端に笑みを浮かべた。
 「なるほどね」
 「あんたは怖くないのか?」
 「死骸が?」
 「森から生きてるやつが飛び出してくるかも知れんぞ」
 その言葉に少女は肩をすくめた。
 「そうなった時に怖いのは、妖魔よりも人の波だろう。城砦に逃げ込もうと人が殺到すれば妖魔以上の被害が出るかもしれない」
 「よくわかってるじゃねえか」
 巌堅は少々感心しながらうなずいた。
 「だから本当は、早く出発した方がいいんだけどね」
 「本当によくわかってるな、お前」
 「どういうことだ?」
 二人のやり取りがわからない紫琉が首をかしげる。
 「妖魔は血の匂いに集まってくる。だから死骸のあるここは危ないんだよ。まあ、よっぽどのことがなきゃ昼間に襲われることはないがな」
 「なるほど」
 紫琉が感心したようにうなずいた時、漸く集団の先頭が動き始めた。誰かが向こうで喚いていたので、音頭を取った者がいたのかもしれない。兎にも角にも、いよいよ黄海の旅が始まったのである。


◇     ◇     ◇


 集団はのろのろと森の中を進む。とりあえず一条の道が続いているから、人々はその道に沿って長い行列となって黙々と進んでいく。道はちょうど馬車が通れるほどの幅だ。長い年月の間に昇山の人々によって切り開かれ、踏みならされた道だった。
 そうしてのろのろと進むこと数刻。午ごろ、休むのにちょうど良い草地に出た。朝に城砦を出れば、どうしても同じ頃合に同じ場所に至る。休むために枝を打ち草を払い、そういうことを何百年と繰り返しているうちに、勝手にそれらしい場所になっていくのだ。
 その時遠く背後から鐘や太鼓の音が響いた。令艮門が閉じる合図だ。幾人かが不安げな表情で門の方を見たが、もはや樹海にさえぎられその姿はすでに見えない。
 しばらく休息を取り、一人の男が「よーし、行くぞ!」と声を上げる。それを合図に、再び集団がのろのろと動き出す。どうやらすでに集団を指揮する者が現れたようだ。見れば船で一緒だった、武人風の男であった。
 夕刻、再び男の号令で集団が止まった。しかし男の号令がなくとも集団はそこで止まっただろう。午に休憩した場所と同じような広場に出たからである。多くの荷を抱えてきた者たちはその場に天幕を張り始め、そうでない者も野営の準備にまき探しとその場は一気に騒がしくなった。
 それらを横目で見ながら巌堅は森を見渡し、空き地からほんの少し森に入った場所に野営地を決めた。騎獣を連れた二人を促し木に繋がせる。
 「草地の方じゃなくていいんですか?」
 李郁が少々不安そうに尋ねた。本当は、草地の方がいい、と言いたいところなのだろう。夜の森が不安なのはわかる。
 「行きたきゃ勝手に行け」
 そっけなく答えたのは紫琉だった。
 「黄海に慣れた者がここだっていうだから、それなりに理由があるんだよ」
 その言葉に押し黙り、李郁もしぶしぶながらその場で野営の準備を始める。巌堅に言われるままに石を積み、道中拾ってきた枯れ枝に火を熾す。
 「妖魔は案外目が弱い」
 野営の準備をしながら突然にそう言ったのは少女だった。何のことかと、李郁は丹英に視線を向ける。
 「だから開けた所にいるより、木の陰にいた方が見つかりにくい」
 「そう、なんですか?」
 「やっぱりよく知ってる」
 巌堅は李郁の視線を受けてうなずく。
 「だから妖魔が出たら、慌てず騒がず木の影にじっとしていることだ。運がよければ見逃してくれる」
 その言葉に李郁が顔をこわばらせながら頷いた。相当びびっているのだろう。巌堅は李郁の顔を見て苦笑する。
 「だが、まあ。三日は大丈夫だろう。よっぽど運が悪くなきゃな」
 「どうして?」
 「城砦があるからだ」
 「は?」
 不思議そうに顔をしかめたのは紫琉だ。
 「兵が駆けつけてくれるわけでも、矢が飛んでくるわけでもないだろう?」
 「当然だ。だが、血の匂いがする。城壁の前に妖魔の死骸が積んであっただろう」
 「血……」
 「やつらは血の匂いのするところに集まる。だから妖魔が近くまで来ても血の匂いを嗅ぎつけてそっちへ行く。だから血の流れた場所があれば、三日程度は安全なんだ」
 「へぇ……」
 「わかったらさっさと食って寝ろ。明日の朝も早いぞ」


 巌堅の言葉通り、翌朝空が白み始める頃から集団は活動を始めた。天幕を張った者たちはそれを片付けねばならないからだ。同時に朝餉の準備が行われ、黄海の中とは思えない喧騒が満ちる。
 そして日が昇る頃、またあの男の号令で集団は進み始めた。
 指揮を執る男は、名を壮勇という光州の師帥らしかった。どうりで命令しなれているはずだ。周りの者達も師帥と聞いては、従わざるを得ないようである。何せ師帥ならば仙だ。人とは一線を画す存在である。それに妖魔が襲ってきても、何となくどうにかしてくれそうな気になるので、わざわざ逆らう者もいない。
 一方、紫琉にも周囲の者達はかなり気を遣っていた。なにせ艮県の街であれだけ堂々と名乗りを上げたのだ。昇山者に姜家の者がいるという噂は、たちまちの内に広がっていた。何くれとなく援助を申し出てくる者も多く、紫琉はそれに愛想よく答えていた。
 何か困ったことがあったらお願いします、と。
 巌堅はそんな紫琉の様子を見ながら、なるほどこれが紫琉の言う「利のある行動」なのだなと感心した。あの一件のおかげで紫琉は、昇山者の中でなかなか評判が良い。姜家の者であるということをさりげなく周囲に伝えることにも成功している。
 やはり喰えん奴だ、と思いながら、巌堅はかなりありがたいと思っていた。
 黄海では、保険はいくら作っておいても無駄ではない。彼らの運ぶ大量の物資をいつ当てにするともわからないのだ。
 集団は、ただ黙々と森の中を進んで行く。二日目は一日目とさほど変わらない日程で一日が終わり、三日目ともなるとさすがに李郁も緊張がほぐれてきたのか、道中小枝を拾う傍らで野草や薬草を摘むようになった。
 紫琉に語ったときは少しと言った薬草の知識だったが、実際は結構詳しかった。摘んではいちいち丹英に説明する。丹英という少女は、特に愛想が良いわけではないが、逆に冷たくあしらうでもなく李郁の話に耳を傾ける。それがうれしいのか李郁は良く懐いて楽しそうに話をする。その会話に時たま紫琉が入る。どうやら三人は、それなりにいい関係を築いたようだった。



 
 

  
 
 
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