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 「り、李郁!そっと、そっとだ!」
 「そーっとしてますよ。動かないでください」
 「ぐっ!」
 沢で行われた治療は、なかなかに賑やかだった。
 李郁は、取ってきた草をすりつぶすと、紫琉の腕に巻かれていた布をとき始めたのだが、すでに血が固まり傷口へと付着していた布をはがすのは、紫琉にかなりの痛みをもたらした。
 「い”!」
 言葉にならぬうめきを上げて、紫琉が激痛に耐える。
 あと少しですから、と李郁は何度もその言葉を繰り返し、それに紫琉は文句のひとつも言い返したいところだったが、痛みがそれをさせてはくれなかった。刺されたときよりも感じる痛みに、本当ならもっと人目もはばからずに叫びたいところだったが、事の成り行きをじっと丹英が見つめているだけに無様な姿は見せられないと、なけなしの虚勢が何とか紫琉の理性をつなぎ止めた。
 そうしてようやく布がはがれ、ほっとしたのも束の間。今度は傷口を洗う水がしみる。
 「ああ、それほど深くはないようです。良かったですね」
 李郁が治療終了を告げた時、紫琉はなんだかぐったりと疲れていた。
 「あとはとにかく傷口を清潔にしておくことです。化膿すると厄介ですから」
 「・・・・・・わかった」
 「それにしても、李郁は本当に薬草に詳しいな」
 そばで一部始終を見ていた丹英が感心したように呟く。その手には李郁が取ってきた薬草が握られ、しげしげと眺めたり匂いをかいだりしている。
 「まあ、父が猟木師ですから」
 「へぇ、そうなんだ。どおりで詳しいはずだな」
 頷いた少女の一方、紫琉はひとり会話に取り残された。
 「・・・・・・猟木師?」
 首をかしげれば、李郁は柔らかく笑った。
 「野木を巡って見慣れない植物がないか探している人々のことです。そして見慣れない植物があったら育てて増やす。それが役に立つものなら欲しいという人がいるでしょう?」
 「ああ、なるほど」
 「だから父は野草や薬草に詳しくて。―――といっても、本当の父ではないんですけど」
 「・・・・・・というと?」
 「まあ、母と野合の関係とでも言うんでしょうか。母は僕が生まれたばっかりの時に夫と別れたようなんですけど、乳飲み子を抱えて困っているころを助けてくれたのが父だったようです。猟木師はいわば浮民。一カ所に留まる気は毛頭ないようですが、それでも時々に母を訪ねてくるんです」
 「・・・・・・お前は、そういう男を父と呼んでいるのか?」
 「まあ、これは僕のわがままみたいなもので。特に断られないから勝手にそう呼んでいるんです」
 ふーん、と相づちを打つ以外何と応えて良いものやらわからない。微妙な空気を李郁が察したのだろう、困ったように苦笑した。
 「別に、複雑でも何でもないですよ。父と母はとても仲が良いし、それぞれの価値観を大切にしあっているからこそ、野合の関係なんだと思うんです。それに父は僕にも優しくて、野草や薬草のことをいろいろ教えてくれるんです」
 「巡るのは雁国内だけ?」
 「さあ、それは。一年以上帰ってこないこともありますし、他国にまで足を伸ばしていても不思議はないかもしれません。尋ねたことはないですけどね。だけど猟木師が野木を巡ると言っても、常に新しい木を求めているわけではありません。新しい種がつきやすい木というのがあるらしいです。そんな木を見つけたら、定期的に様子を見に行きます。長年猟木師をやっていれば、そんな木を五、六本は見つけているものらしいですから、それを順番に巡っているのかもしれません」
 へぇ、と紫琉はただ感心する。
 「それにしても、その木が王のいない国の山中にあるなら大変だな」
 「そうですね」
 李郁は頷く。国が傾けば妖魔が出る。妖魔は山を寝床にするから、傾いた国の山に分け入るのは命がけだ。野木の根元にいれば妖魔に襲われることはないが、そこまでの道中は危険極まりない。
 「実は、僕がここに来たのもそれが理由なんです」
 「―――父が安全に山を巡れるように、自分が王になろうと思ったってことか?」
 紫琉が問えば、李郁はあわてて首を振る。
 「えーっと。そうじゃなくて。自分が王になってやろうなんて、そんな大それたことを思った訳じゃないんです」
 「・・・・・・」
 そこで失言に気づいたのか、李郁はまたあわてて言葉を繋いだ。
 「いえ!あの、昇山を決意された皆さんは立派だと思います。どんな理由だろうと昇山するのは命がけだし、誰かが命をかけて昇山してくれなきゃ、いつまで経っても王が立たないんですから」
 「―――では、なぜ?」
 「・・・・・・ある日、父が大怪我を負って帰ってきたんです」
 李郁は、そういって目を伏せた。
 「僕が乗ってきた猛極は、いつも父が使っていたものなんですけどね。あの騎獣に背負われて、意識を朦朧とさせて帰ってきたんです」
 本当にひどい怪我でした、と李郁は表情を硬くする。
 「母と二人で手当をしましたが、何日も高熱が出て、傷口もなかなかふさがりませんでした。そのうち傷口が膿んで腐り始め・・・・・・」
 紫琉は想像して思わず眉をひそめた。
 「その時、蓬山にはどんな傷や病も治す仙水があるのだと聞いたんです。それで―――」
 「蓬山に行って仙水を恵んでもらおうと?」
 「・・・・・・はい」
 李郁の告白に、紫琉は考え込むようについと視線をそらした。
 沈黙が三人の間に落ちた。
 人は色んな理由を抱えて蓬山に向かう。根本は王たらんということであろうが、そうではない随従の者だって昇山しているのには変わりない。
 それでも、中には李郁みたいな者もいるんだな、ということが紫琉には新鮮で衝撃だった。そして、王たらんとして蓬山を目指す者の心根と、李郁の心根のどちらの方が本当は尊いのだろうか。紫琉はそんなことを思わずにはいられなかった。
 

◇     ◇     ◇


 一日を無駄にした一行は、翌朝今まで通りに出発したが、問題の沼の畔でまたひと悶着起きた。つまりは飛行する騎獣を持つ者は沼を飛び越えてしまえばいいのだが、そうでない者はぐるりと沼を回らなければならない。しかしその道も結構ぬかるんでいるので足が取られる。馬車や荷車などは、到底通れる道ではなかった。それらを運ぼうと思えば、もっと大きく迂回して、乾いた大地を行かねばならないのだ。
 しかしそれはかなり多くの時間を費やすことになる。夜になるまでにある程度沼から離れねばならないのだから、単純に遠回りすればいいということでもない。
 了悟という男がまた何か騒ぎ立てていたが、紫琉は付き合う気はなかった。自分の荷の責任は自分で負わなければならない。捨てるも運ぶも、了悟の決断することだ。指導者を気取っている壮勇が了悟を怒鳴りつけていたが、紫琉はさっさと吉量に跨って沼を飛び越えた。どうせなら丹英と同乗したいな、などと考えながら。
 そして日の沈むぎりぎりに野営地に姿を見せた了悟の率いる一行には、馬車も荷車も姿はなく、代わりに馬車を引いていた馬の背に、気の毒なくらいの荷がくくりつけられていた。
 そうして何とか全員が無事沼を越えたが、沼を越えた先も安全ではあり得ない。
 二度目の襲撃を受けたのは、沼を越えた次の夜のことだった。
 紫琉は夜半、人の叫び声で目を覚ました。
 それまで夢の中にあった紫琉は、一瞬それが夢なのかうつつなのか判然としなかった。夢の中で紫琉はひとりの娘と一緒だった。胸もとのはだけた薄物を纏い、白粉の匂いをぷんぷんとさせる娘は明らかに妓女だった。娘の瞳は何処か憂いをたたえて、伏せられたままこちらを見向きもしない。焦らすでも媚びるでもないその態度に少々のいらだちを覚えて、紫琉は力任せに娘を抱いた。首もとを吸い上げ、はだけた胸元から手を差し込み、乳房を乱暴にもみ上げる。嬌声と言うより苦痛の声を娘が漏らしたのに何処か満足して、紫琉は無理矢理に娘の顔を上向かせた。自分に媚びない生意気な娘の顔をおがんでやろう。そんな気持ちで娘の顔をのぞき込めば、そこに見知った顔を見いだして紫琉は驚きに目を見開く。
 ―――なぜ!
 驚く紫琉の腕の中で、娘は唐突にだらりと力を失った。その娘を見つめて、紫琉はただ愕然とする。
 なぜお前が妓女なのか。驚く紫琉の視線を受けて、力なく紫琉を見上げていた娘が薄く笑った。そして紫琉は気づく。自分の手を生暖かいものが濡らしていることに。見ればべったりと血糊がこびりついている。あわてて娘を見やれば、左胸にできた赤い染みがどんどんと大きくなっていた。驚いて紫琉は血のあふれ出すそこを手で押さえたが、血は止まることなくあふれ続ける。
 このままでは娘が死んでしまう。でも、どうしたらよいのかわからない。焦燥ばかりが渦巻いて、誰かに助けを求めようと声を上げかけたその時、悲鳴を聞いた。
 「―――静かに」
 飛び起きようとして肩をつかまれる。耳元で丹英の声がして、紫琉はなぜかそれにほっとした。それで意識がはっきりし、耳に喧騒を捉える。何事かと静かに首を巡らせて広場に目を移すと、紫琉はそこに飛行する妖魔の影を見た。
 瞬間、恐怖に全身が泡立つ。
 飛行するそれは鳥の形ではない。蛇だ。それも人の身の丈の倍はある。それに四枚の翼があって、身をくねらせながら地上の者達と対峙するその姿は何とも醜悪だった。
 もし今ひとりであったら、紫琉は正気を保っていられたかわからない。何とか平静を装えたのは、そばに丹英と李郁がいたからだ。三人の中で一番年長ある自分が、ふがいない姿を見せるわけにはいかない。
 腹についた三足が誰かの体をえぐる。妖魔の咆吼とともに血のにおいが強くなる。その周囲には数人の人影。いずれも手に武器を持っていた。
 ―――狩るつもりか!?
 紫琉は縫いつけられたように、ことの成り行きをただ見つめた。先日見たキキを季徳が小物だと言ったわけがよくわかる。格が違う。それでも狩ろうとしているところ見れば、剛氏らにはおそらくそれが無理な相手ではないのだろう。
 しばらくして広場に歓声が上がった。広場から巌堅が駆け戻ってくる。
 「急げ!ここを離れるぞ」
 その声に紫琉ははじかれたように反応した。さっと荷を抱えて吉量に飛び取る。丹英に目をやれば、前回同様ただ身をすくませる李郁を騎獣に乗せその手綱を握っていた。女の身でありながら少しも怯えた風もなく、やるべきことをすばやくこなす丹英の姿を見て、紫琉はどことなく悔しかった。

 

 
 

  
 
 
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